ファームサルートからのお知らせ

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惜 別

福井県の米の新品種「いちほまれ」を試食した人は「おいしい」と、評判は非常に良いすべり出しである。私も早く栽培したいと思っている。今日まで日本一の米「コシヒカリ」は本当に頑張ったなァと思い大拍手を贈りたい。

私は昭和30年、20才の時に福井県農業試験場内にあった「農村中堅青年養成所」(短期)に入所した。その時に「コシヒカリ」育ての親とも云える「石黒慶一郎」先生が在場しており、もの静かな細身の先生の印象がある。コシヒカリの誕生が昭和31年だから、世に出る直前であった。最後の仕上げの最中だった。私は坂井市の方に出向く時があると、石黒慶一郎先生の手に稲穂を持った銅像(舟寄)を訪ね住時を偲んでいる。

当時、農業試験場は現松本小学校の校門の前が場の入口であった。コシヒカリの栽培を初めた頃、倒伏させてしまい、刈取りに苦労した思いがある。その後、コシヒカリの栽培の技術が「V字型稲作」として定着し約60年、日本一の米として栽培されてきた。コシヒカリには、もう一つの素晴らしさがある。私はコシヒカリ誕生と同時に稲作と酪農に取り組んでいる。同じ畜産農家で肉用牛飼養をしているM君は、稲ワラは肉用牛生産には絶対に欠かせない飼料だと言う。その稲ワラの中でもコシヒカリの稲ワラを好んで喰べると言う。コシヒカリはしなやかさ、軟らかさ、そして旨味もあるのではと思う。コシヒカリは我々の最高の主食であり、同時に稲ワラは家畜の最高の餌である。コシヒカリは「実」も「茎」も最高の稲であったと云う事実を書き残しておきたいとの思いで記した。


先日、農業新聞の記事で49歳以下の新規就農者が3年連続で2万人超と出ていた。また、とき同じく週刊誌には写真紹介で「ニッポンの『新』農業男子」として写真記事で、野菜・果樹・畜産に取り組む14名の30歳代の若手農家の紹介が出ていた。農業一筋で生活して来た私は密かに静かに喜びを噛み締めている。

改めて私の住む地区で農業を専業として生きる農家を数えてみた。地区の農家集落12区内で、大型園芸ハウス農家3戸(内1戸は水耕栽培)、稲作では80ha以上の農家3戸、稲作と園芸農家1戸、集落営農1組織、また中規模で稲作と園芸に取り組む3戸、そして私の稲作と酪農1戸、計個人11戸(内法人組織3戸)集落組織1である。改めて数えてみて驚くと共に、嬉しさがこみ上げてくる。私が最年長者である。20数年前に私にY君が「名津井先輩が農業一筋で生活している姿を見て、自分も農業に取り組む勇気と活力をもらっている」と言って、いつの間にか私を乗り越えて大型農業経営をしている。やっぱり私は嬉しい。

私の集落で私と同じ姓の35歳の若手農家が、今春大型ハウス8棟を建て園芸栽培をスタートした。土地は私が耕作していた40aの集落の1等地の水田を提供した。成功を祈ると共に、やっぱり私は嬉しい。

「力耕不吾欺」(力耕吾を欺かず ※1) 畑仕事を力いっぱいやって欺かれる事は無いと云う中国の田園詩人、陶淵明(トウエンメイ)の一節である。生涯を農業に生きようとして今日まで歩んできた私は、やっぱり嬉しい。

※1 りきこうわれをあざむかず

先日、農業高生2人が農業実習で来宅した。5日間、水稲、牧場、直売所での作業に従事してもらった。その中でトラクターによる3haの草地の刈取り作業を実習した。トラクターに乗るのは初めてと云う。トラクターに私も同乗し操作と刈取り要領を伝え最初に私が刈取り作業を示した。直線と意識的に曲線の刈取りをし、次に2人に実習してもらった。直線に刈取りした所は次も直線に刈取りされ曲線の所は曲がって刈取りされる。その中で曲がった刈取線を真直ぐに刈取り修正する要領を覚えてもらった。それは曲がった刈取り線に添って刈り取れば曲がってしまうが、真直ぐに修正するには真直ぐにすべき目標を遠くに定めトラクターの中心を目線で結びつけて刈取りを進める事、注意点として曲がった刈取り線は無視する事を指示した。すると曲がらずに直線に刈取り出来た。

それを例にたとえ、人生も同じで遠くに大きな目標を定め歩むことだ。また時には曲がることがあっても目標とする大道に修正すれば良いことだと話した。2人は何かに気づいた様に思えた。

私は中学1年の頃、母が何時も「早く大きくなって農作業を手伝ってくれ」と言っていたので、全く迷いなく自分の職業は農業と決めていた。そして今日まで歩んできた。今もまったく迷いも悔いも無い。農業と云う大道の中で時には脱線気味の事もあったが、修正しながら歩んできた。

60才ぐらいの頃は70才まで農業現役でと目標を定めていた。70才のときは80才までと定めていた。今83才となり、90才を目標にしている。


先日、私の牧場に来た青年がメモ書きの時、左手にペンを持って書いていた。少し書き苦しそうだ。本人は苦にしていないが。私の弟は左利きだが、子供の頃に母は「筆と箸」は右手でと厳しく強制的に指導した。故に弟は「筆と箸」は右利きだが、それ以外は全て左利きである。稲刈作業では鎌の刃を反対にソリ曲げて使っていた。

社会生活は全て右社会に出来ている。何事も練習次第で右でも左でも十分に克服できる。私は30才ごろに台秤を運ぶ時に石段ですべって右手の小指を骨折し「く」の時に曲がってしまった。そのころ1日平均2頭の乳牛や和牛の人工授精業務に携わり、各畜産農家を廻っていた。授精技術として直腸膣法と云う方法で行っていた。私は右利きなので牛の直腸に右手を入れて子宮頸管を握り、膣から入れた精液注入管を誘導して子宮内に注入する方法で行っていた。右手小指の骨折のため、左手で実施した。大変やりにくかったが、回数が増すに従って難なく行う事が出来る様になり、今も左手の直腸膣法で行っている。右手ではやりにくくなってしまった。

母の弟への躾や、私自身の経験から「躾」や「教育」はある程度は強制的でなければならないと思っている。


先日、北海道の町村農場の血統を引く乳牛を導入することが出来た。昭和45年、第5回全日本ホルスタイン共進会が愛知県豊橋市で開催され、私は福井県代表として初めて愛牛を出品した。開会式を直前に控えた時、北海道の町村末吉氏が北海道の出品者40余名に「開会式に遅れない様に駆け足で行こう」と呼びかけて走って行った。全国の酪農家の憧れの日本を代表する町村農場主である。その時が、町村末吉氏との初めての出会いであった。

町村農場の先代は福井県武生地区出身で、今も先祖の墓があると聞く。末吉氏は町村家に婿養子に迎えられ、先祖は大野地区出身との事である。それから十数年後、福井県の乳牛の審査に日本ホルスタイン協会の山本善彦審査長が来県された。その時、私は懇親の席を設け酒くみ交わしながら乳牛改良の話に花が咲いた。第5回全ホ共の時、審査の補助員として参加していたそうである。そのとき町村農場の末吉氏の話が出た。山本氏は「町村農場は日本一の牧場で、日本酪農の指導者としてもトップレベルの農場であり農場主の末吉氏の人格に尊敬している」と言われた。ある時、北海道で1頭あたり産乳量の多い酪農家での研修会に町村末吉氏も出席され熱心にメモをとる謙虚な人間性と、その姿勢に非常に感動したと言われた。後日、私は町村末吉氏に電話し、福井県家畜改良協会の総会に講師として「町村農場のあゆみ」を講演してもらった。

町村末吉氏の学ぶ姿勢と、剣豪の宮本武蔵の格言「我以外すべて師」の言葉を噛み締めている。


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