ファームサルートからのお知らせ

ファームサルートからのお知らせ

昨年の秋、老人会の研修の後、講演があった。演題は「米について」で講師は米穀店の主人で話上手であった。だが米についての話は少なく、戦後の米国の日本に対する「パン食」への悪政、また牛乳、ヨーグルト、肉は悪い食材だと言う。私は米と牛乳の生産農家である。帰りに主催した女性の方が私に「米が良いと云う事を勧めるために、牛乳やヨーグルトが悪いと言ったと思います。ごめんなさい」と申し訳なさそうであった。

私の食に対する考え方は、日本人は日本の風土に適した「米」を基本とする食生活が一番だと思う。しかし他国にも優れた食材がある。私は少年時代は食糧難時代を生き、青年時代は食糧増産に懸命に働いた。米を中心とした日本食の貧困さを身をもって体験もした。米を基本とする日本食に、肉、卵、牛乳は絶対に欠く事は出来ない。そしてヨーグルトなど発酵食品も大切だ。

先日、私は近くの総合病院で1泊2日の人間ドックを受けた。結果は、まず食生活では理想の円の中にピッタリと入った。少しだけ足りないのは「果物」をもう少し食すると良いと言われた。また血液検査や他の検査でも医師より、少し注意すべき点はあるが、別段これはと云う事は無いと言われた。現在84才、薬はなにも飲んでいない。田を耕し米作りに励み、起床は毎日5時半、乳牛の搾乳など管理に励んでいる。食は毎日3食、ご飯を基本に、牛乳は毎日、卵や肉そして野菜や魚も意識的に食している。これからは医師の教えを守り、果物を意識的に食して行きたい。


過日、寝そべりながらテレビを見ていたら福井市の片町探訪か何かで、ある店の主が「苦しみは、成功の隠し味」と言われた。早速、忘れない内にと紙片に書きとめた。
私の地区に、市、県の議員として三十年間を大活躍した、今は故人となられたT大先輩が私への年賀状に時折、私を諭すような「訓」を書いてくれた。それを真似て私も十数年前から年賀状に、自分に諭す様に名言や名訓を囲い込みにして書いている。毎年、正月が過ぎると次の都市の年賀状に記すべき名言、名訓を心している。私は生きて84年である。この間にたどりついた私の句は「純粋に一生懸命」である。ある人から「良い言葉だね」と言われて自信を持ってしまった。

平成31年の年賀状には「苦しみは成功の隠し味」と記する。
平成30年は、白川郷のある寺の廊下の隅に記されてあった「人に接する時は、春のように暖かい心で。仕事をする時は夏のように燃える心で。思う時は秋のように澄んだ心で。己を責めるときは冬のように厳しい心で。」


30才台の頃、稲作や畜産関係のほとんどの会に加入していた。故に会合などに出る事も多かった。そんな時、獣医師で県家畜保健衛生所に勤務する12才年長のK先輩と雑談の機会があった時、私は日頃の各会の不満を述べた。「無駄な会が多く、もっと効率の良い会に再編成すべきだ」と言ったら、K先輩は「いや違う、無駄の積み重ねの中にこそ必ずヒカルものがあるはずだ、無駄の積み重ねが大事だ」と言われた。そんな頃、ある雑誌で「つまらない会であっても、良く振り返り見れば必ず得るものがあるはずだ」との一文を読んだ。それ以来、時折、一日を振り返りみると必ず何か得るものがある事に気がついた。

余談だが、3~4年ほど前に書店で「丹羽長秀一代」と第する新刊本があり、手にしたら著者がK先輩であった。16年かけて86才の時に発刊された452頁の労作である。年賀状に拝読した旨を記した。早速連絡があり、大変よろこんでくれて福井市の片町のスナックに誘われた。
今は故人となられたが、K先輩の教訓は私の中に生きている。


19才の時、尊敬するN先輩より青年団に入団の誘いがあり、地元青年団に入団し青年団活動に夢中になっていた。昭和34年にN先輩が市連合青年団の推薦を受け、市議会議員選挙に立候補することになり、私はN先輩の地元青年団員として応援に全力をあげた。当時私は23才であった。

いろいろな応援の参考資料を取り寄せて原稿を作り、何回も練習し丸暗記して臨んだ。第一会場は民家の8畳で部屋は超満員である。弁士として大勢の人の前で話すことは初めてで非常に緊張した。自分の思いは練習で得た要旨を話す事が出来た。大きな拍手を受けホッとした。次は第二会場の寺の御堂である。入場すると十名ほどの人が集まっていた。ホっとした気持ちで、3番手として演壇に立ち応援の言葉を始めた。ところが途中で次の言葉がでなくなってしまった。そして前の方で2人が「上がっているな」とつぶやいている様だ。応援要旨は短くなってしまい、やうやう終わると同時にガックリしてしまった大失敗の苦い思い出がある。「百獣の王ライオンはネズミ1匹捕えるにも全力を出す」といわれる。それ以後、人数、会場などに左右されず緊張感を持ち真剣に取り組むべきだと心に刻みこんだ。

私の牧場に酪農体験で年間400人から500人の方が来場する。多い日は80人ほど、少ない日は家族連れで3人ほどの時もある。来場の人数に関係なく、ある緊張感を持って同じ対応で臨んでいる。


過年、地元の小学校より児童の校外学習で私の集落の神社を見学したいとの連絡があった。私は快諾した。私は集落の神社の責任役員をしている。10名ほどの小学生が先生と来られた。早速、集落の「愛宕神社」の説明と、ご神体を拝観してもらった。ご神体は佛像で大人が胡座をかいた型の大きさである。
神佛混合時代のご神体である。小学生の中に1人だけ社殿に入らずに、外でさみしそうに佇んでいる。聞くと両親から社殿に入ったらダメと言われているとの事で、引率の先生も両親から言われているとの事である。信教からと思うが残念であった。

私は先祖代々、佛教徒であり、神社の責任役員も務め集落の神社の世話をしている。家の佛壇では数珠を手にお参いりし、神社では二拝二拍手一拝しお参いりしている。また、教会での結婚式にも参列している。私は神佛に対する信心が浅いのかも知れない。しかし他宗、他人への理解や寛容、思いやりが大切と思う。それは平和の原点でもある。宗教戦争ほど惨めなものはない。

50年ほど前に北陸地区の「愛農研修会」が金沢市で開催され出席した。研修の前に「佛教」についての講話があった。講師は戦時中、陸軍大学校を卒業し軍の命令で「世界の宗教」をすべて研究せよと言われ終戦まで約4年間軍務に就かず世界のあらゆる宗教について研究し、究極の結論は「佛教」が最高であったと語られた。


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