ファームサルートからのお知らせ

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先日、子供の頃に同級だったK君と食事会で同席となり、話が弾んだ。そのときにK君がご飯を床に零した。話をしながら床に落ちたご飯を箸で拾って食べていた。また20年程前に坂井郡のT君と畜産会議の後の食事会で隣席となり会話をしていた時にご飯を床に零した。T君も落ちたご飯を箸で拾って口に運んでいた。後でさりげなくT君に何年生まれか聞いたら、私と同じ昭和9年生まれである。

私達の世代は日本で最大の食糧難時代を経験した。主食である「米」に対する感謝の気持ちは身に染み込んでいる。私の母や、祖母はご飯や米を少しでも粗末にすると真剣に叱り、主食の米に対する感謝の気持ちをしつけられた。私の集落の26才程上の父の様なN大先輩は30年程前に私に「こんな良い世の中はないぞ」と語ってくれた。N大先輩は戦場で負傷し九死に一生を得た人である。N大先輩は「ソバ」が好きで時々、福井駅の「ソバ」を食べに自転車で通っていた。また市内の食事処に自転車を走らせ、心から「良い世の中」と「豊かな食」に感謝し食を楽しんでいた。

現在は主食の米に対する感謝の気持ちが薄らいでいる様だ。「でも」「でも」私は食する米への感謝の気を忘れず、そして米を生産する感謝の気持ちで生涯米の生産に携わって行きたい。


昨年の秋、老人会の研修の後、講演があった。演題は「米について」で講師は米穀店の主人で話上手であった。だが米についての話は少なく、戦後の米国の日本に対する「パン食」への悪政、また牛乳、ヨーグルト、肉は悪い食材だと言う。私は米と牛乳の生産農家である。帰りに主催した女性の方が私に「米が良いと云う事を勧めるために、牛乳やヨーグルトが悪いと言ったと思います。ごめんなさい」と申し訳なさそうであった。

私の食に対する考え方は、日本人は日本の風土に適した「米」を基本とする食生活が一番だと思う。しかし他国にも優れた食材がある。私は少年時代は食糧難時代を生き、青年時代は食糧増産に懸命に働いた。米を中心とした日本食の貧困さを身をもって体験もした。米を基本とする日本食に、肉、卵、牛乳は絶対に欠く事は出来ない。そしてヨーグルトなど発酵食品も大切だ。

先日、私は近くの総合病院で1泊2日の人間ドックを受けた。結果は、まず食生活では理想の円の中にピッタリと入った。少しだけ足りないのは「果物」をもう少し食すると良いと言われた。また血液検査や他の検査でも医師より、少し注意すべき点はあるが、別段これはと云う事は無いと言われた。現在84才、薬はなにも飲んでいない。田を耕し米作りに励み、起床は毎日5時半、乳牛の搾乳など管理に励んでいる。食は毎日3食、ご飯を基本に、牛乳は毎日、卵や肉そして野菜や魚も意識的に食している。これからは医師の教えを守り、果物を意識的に食して行きたい。


過日、寝そべりながらテレビを見ていたら福井市の片町探訪か何かで、ある店の主が「苦しみは、成功の隠し味」と言われた。早速、忘れない内にと紙片に書きとめた。
私の地区に、市、県の議員として三十年間を大活躍した、今は故人となられたT大先輩が私への年賀状に時折、私を諭すような「訓」を書いてくれた。それを真似て私も十数年前から年賀状に、自分に諭す様に名言や名訓を囲い込みにして書いている。毎年、正月が過ぎると次の都市の年賀状に記すべき名言、名訓を心している。私は生きて84年である。この間にたどりついた私の句は「純粋に一生懸命」である。ある人から「良い言葉だね」と言われて自信を持ってしまった。

平成31年の年賀状には「苦しみは成功の隠し味」と記する。
平成30年は、白川郷のある寺の廊下の隅に記されてあった「人に接する時は、春のように暖かい心で。仕事をする時は夏のように燃える心で。思う時は秋のように澄んだ心で。己を責めるときは冬のように厳しい心で。」


30才台の頃、稲作や畜産関係のほとんどの会に加入していた。故に会合などに出る事も多かった。そんな時、獣医師で県家畜保健衛生所に勤務する12才年長のK先輩と雑談の機会があった時、私は日頃の各会の不満を述べた。「無駄な会が多く、もっと効率の良い会に再編成すべきだ」と言ったら、K先輩は「いや違う、無駄の積み重ねの中にこそ必ずヒカルものがあるはずだ、無駄の積み重ねが大事だ」と言われた。そんな頃、ある雑誌で「つまらない会であっても、良く振り返り見れば必ず得るものがあるはずだ」との一文を読んだ。それ以来、時折、一日を振り返りみると必ず何か得るものがある事に気がついた。

余談だが、3~4年ほど前に書店で「丹羽長秀一代」と第する新刊本があり、手にしたら著者がK先輩であった。16年かけて86才の時に発刊された452頁の労作である。年賀状に拝読した旨を記した。早速連絡があり、大変よろこんでくれて福井市の片町のスナックに誘われた。
今は故人となられたが、K先輩の教訓は私の中に生きている。


19才の時、尊敬するN先輩より青年団に入団の誘いがあり、地元青年団に入団し青年団活動に夢中になっていた。昭和34年にN先輩が市連合青年団の推薦を受け、市議会議員選挙に立候補することになり、私はN先輩の地元青年団員として応援に全力をあげた。当時私は23才であった。

いろいろな応援の参考資料を取り寄せて原稿を作り、何回も練習し丸暗記して臨んだ。第一会場は民家の8畳で部屋は超満員である。弁士として大勢の人の前で話すことは初めてで非常に緊張した。自分の思いは練習で得た要旨を話す事が出来た。大きな拍手を受けホッとした。次は第二会場の寺の御堂である。入場すると十名ほどの人が集まっていた。ホっとした気持ちで、3番手として演壇に立ち応援の言葉を始めた。ところが途中で次の言葉がでなくなってしまった。そして前の方で2人が「上がっているな」とつぶやいている様だ。応援要旨は短くなってしまい、やうやう終わると同時にガックリしてしまった大失敗の苦い思い出がある。「百獣の王ライオンはネズミ1匹捕えるにも全力を出す」といわれる。それ以後、人数、会場などに左右されず緊張感を持ち真剣に取り組むべきだと心に刻みこんだ。

私の牧場に酪農体験で年間400人から500人の方が来場する。多い日は80人ほど、少ない日は家族連れで3人ほどの時もある。来場の人数に関係なく、ある緊張感を持って同じ対応で臨んでいる。


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