ファームサルートからのお知らせ

ファームサルートからのお知らせ

今春、毎朝マスクを買い求めるため量販店前に行列が続いた。30年ほど前に書店で「○○之日本」と云う月刊誌を立読みしていたら「今の農業者は高度経済成長に乗り遅れた落ちこぼれである」と筆者は結論していた。ガックリとして書店を去った覚えがある。そして程なく平成5年に日本全体が冷夏に巻き込まれ、米が大凶作で東北では穂が出ても実らなかった。米泥棒も多発した。そのときに米を買い求める人の行列がテレビで報道されていた。そのときに「○○之日本」の農業への筆者はどう思っているかなぁと思った事があった。
今春、孫の一人(長女の長男)が乳牛の管理作業や水稲作業に汗を流してくれた。連日のコロナのテレビ報道を見ながら「土壇場で生き残れるのは農業かも知れない」と呟いていた。もう一人の孫(次女の長男)は両親の飲食業の自営業の跡継ぎとして働いているが、コロナの影響で暇が出来たのでトラクターに乗ってみたいと言ってきた。早速トラクターの操作を教え、6haの田の荒起し、代かきをしてくれた。トラクターは冷暖房つきだ。作業の仕上がりは見事である。そんな孫が母親に「農業をナメたらダメ」と言っていたとの言葉を聞いた。2人の孫の「呟き」を聞いて嬉しかった。私は昭和20年前後の食糧難時代を経験し、その後の経済成長時も経験した。そして土壇場で踏みこたえられるのは農業かも知れないと思っている。

先日、畜産関係同志での研修旅行が開催された。昨今の世情からやや気重く、いやいや参加した。その中で富山県高岡市の瑞龍寺を訪れた。中年の坊さんに案内してもらった。総門を入ると真正面に二重屋根の大きな山門が目に入る。山門の大屋根は下の屋根と同じ幅に設計されている。雪が大屋根から落ちる時に下の屋根に落ちないようになっていると云う。正面の大きな二重屋根の山門、右に浴室、左に東司(便所)、それを回廊で連いでいる。「山」と云う字に建てられているそうだ。また山門に一定の距離に近づくと、奥の佛殿が山門の中に息しに置いた様に見事に収まる。この瑞龍寺の建築の棟梁は「福井県人」だとの説明である。また法堂の左奥に加賀藩士の前田利長公を含めて4公1院の石廟がある。その石は笏谷石で造られている。福井の棟梁ならではである。

坊さんの説明の中で2つの印象に残った説明があった。1つは「便所」は汚れるから掃除するのでなく、「一番大事な所」だから一番きれいにするのだと言われた。坊さんは先輩から言われた時に「あっそうか」ぐらいであったが、自分が説明する立場になって、やっとその意味がわかって来たと話す。また加賀藩の前田家は戦国時代「戦わずして領土を守る」を実践して来たと説明があり、改めてその意味を噛みしめた。

研修旅行に参加して本当に良かったと思う。四・五十年前、大先輩から「どんなにくだらない会合と思っても、良く振り返り見ると必ず何か得るものがある」と教えられた言葉がよみがえって来た。


50数年前、家畜人工授精師として福井市を中心に各農家の乳牛や和牛の人工授精に単車で砂利道を走り回った。先日、農閑期で暖冬のひと時、50数年前に走りまわった農村地区は今はどの様に変貌しているのかなあと思い訪ねてみた。各地区とも土地改良で見事に整備され、農道も舗装されている。その中で上中町の整理された農地の中に約2坪ほどの敷地に小さな祠がある。かつては農道の横にあったと思われる。土地改良でブルドーザでひと押しで無くなってしまうが、そのまま残されている。農地の中にあるから農作業では大変苦労するし邪魔だと思うが、農地は転作の麦が青々と育っている。祠も見事に管理されている。小さな石碑に「おこり神様」と記してあり「おこり」とはマラリアとも記してある。御神体は隕石が安置してあり、餅とみかんが供えてあった。

また杉谷町の整備された農地のど真中に1坪ほどの土地に「へび神社」がある。祠の中に石に掘られた御神体は風雨で定かでなく、その前に2代目と思われる石像がある。そして餅とみかんと赤南天がお供えしてあった。昔から祠の位置を動かさず、農作業に大変邪魔とお羽毛が、農地は秋耕され、祠も見事に管理されている。農民として農家として、地区の歴史を重んじる見事な心意義に本当に心洗われた。


家族力

今春の地方選挙で私はI候補を応援した。スローガンの一つに「家族力」を掲げていた。今夏、私の農場に八年間勤務してくれたN君が結婚と同時に退職して他県の大型畜産農場に就職する事となった。現在、私の農場は水稲7ha、乳牛28頭と、他に農産物直売所を経営している。N君が抜けた事で労力的に大きな打撃であった。一番忙しい秋の水稲収穫作業は家族4人で無事に終えることが出来た。力仕事は孫が黙って仕上げてくれる。この時、初めて「家族力」の偉大な力に気付かされた。「家族力」とは、どんな困難をも乗り越えられるものと確信した。

最近、日本農業界で時折「家族農業」と云う言葉や活字を見聞する。城の石垣を眺めれば分かるが、大きな石と石の間には中小の石が組み込まれ石垣が形成されている。大きな石が大型農業ならば、中小の石は、中、小型の家族農業を表している。盤石の日本農業とは、大型農業の推進とともに中、小的な家族農業にも「光」をあてるべきと思う。「家族力」とは無限の力である。


先日、我家の乳牛の人工授精をした。受精する時に乳牛の尻尾が邪魔になるので、ロープで尾房をからげて牛の背筋に沿って引っ張っておくが、その牛は老齢でいつの間にか尾房が無くなってしまったので「猪の首」を取るという方法で尻尾を固定して受精した。昭和29年、20歳前後の頃に近所の家々の新築建て前のお手伝いとして何度も参加した。そんな時に新築の梁の上から棟梁がロープの端を投げ下ろして、私に「その桁を猪の首を取ってくれ」と言われた。その言葉が分からずにウロウロしていたら、私より2歳ほど年上の先輩が走ってきて、ロープで「猪の首」を取る方法を教えてくれた。桁をロープで1回からげて、次にロープを巻く様にしてロープの間をくぐらせる方法である。この方法だとロープから桁がはずれ落ちることはない。

50年ほど前に美山地区の農家の乳牛の受精に行った時、尾房の無い牛に出会った。畜主が「どうして尾を押さえるかなぁ」と言われたので「猪の首」を取る方法はどうだろうと言ったら、大先輩の畜主は「そうだ!やって見る」と言って猪の首を取る方法で尻尾を固定してくれた。彼は「猪の首」を取る方法を私よりも熟知していた。

今は全くロープで猪の首を取るという方法は知らない人が多いと思うが、何事にも原点が大切と思う。ロープ、綱一本にも色々な使い方、からげ方がある。原点から新しい方法や方便が考えられる。何事にも原点、源流、原則を知ることが大切と思っている。


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