私も農業歴60有余年になるが、今でも初めて経験する事がある。同業の者からアドバイスを受けたり、ヒントを与えられる事がある。私の年齢の3分の1に満たない若い人の話でも私のまったく経験した事の無い事を聞く事もあり、良い勉強になる。子供の頃、母は私に「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」と言い聞かせてくれた事を思い出す。プライドは持ちながらも、プライドを捨てることも大切だと思っている。
十数年前を思い出した。畜産会議の後、食事会が開かれ同業のT君と同席した。雑談をしながら御飯を食べていた時、T君が御飯を床に落としてしまった。雑談を続けながらT君は自然体のまま箸で拾い上げて食べていた。私も同じ事をしていたと思う。私とT君は昭和9年生れの同年である。私達は「もったいない」は体に滲み込んでいる。
米作りをして乳牛に米を給与しながら最近の気候変動や自然災害、国際社会でも何が起こるか分からない。それらはすべて食料危機に直結する。そんな時に飼料米を主食米に転換出来る、そんな事を思いながら乳牛に米を給与している。「もったいない」と思う気持ちも少しやわらぐ。
現在、九頭竜川上流に九頭竜ダム、日野川の上流に桝谷ダムが完成、足羽川上流に足羽ダムが建設中である。足羽川ダム建設では大反対があったが、平成16年の大雨で足羽川左岸が決壊し福井市の南側が大水害を受けた。その後、反対論がピタリと止まってしまった。
先日、テレビで大阪知事を務めたこともある橋本徹氏が自然災害を避けるには「住まない・住まわせない」と発言していた。政治家としては失格である。日本列島は地震・雨・風・雪と云う自然災害を避けられない。自然と共生しながら、政治の力で災害を軽減は出来る。政治は特に大局的な視野が必要である。
今春、孫の一人(長女の長男)が乳牛の管理作業や水稲作業に汗を流してくれた。連日のコロナのテレビ報道を見ながら「土壇場で生き残れるのは農業かも知れない」と呟いていた。もう一人の孫(次女の長男)は両親の飲食業の自営業の跡継ぎとして働いているが、コロナの影響で暇が出来たのでトラクターに乗ってみたいと言ってきた。早速トラクターの操作を教え、6haの田の荒起し、代かきをしてくれた。トラクターは冷暖房つきだ。作業の仕上がりは見事である。そんな孫が母親に「農業をナメたらダメ」と言っていたとの言葉を聞いた。2人の孫の「呟き」を聞いて嬉しかった。私は昭和20年前後の食糧難時代を経験し、その後の経済成長時も経験した。そして土壇場で踏みこたえられるのは農業かも知れないと思っている。
坊さんの説明の中で2つの印象に残った説明があった。1つは「便所」は汚れるから掃除するのでなく、「一番大事な所」だから一番きれいにするのだと言われた。坊さんは先輩から言われた時に「あっそうか」ぐらいであったが、自分が説明する立場になって、やっとその意味がわかって来たと話す。また加賀藩の前田家は戦国時代「戦わずして領土を守る」を実践して来たと説明があり、改めてその意味を噛みしめた。
研修旅行に参加して本当に良かったと思う。四・五十年前、大先輩から「どんなにくだらない会合と思っても、良く振り返り見ると必ず何か得るものがある」と教えられた言葉がよみがえって来た。