ファームサルートからのお知らせ

ファームサルートからのお知らせ

先日、テレビでプロ野球の「巨人軍」坂本勇人選手がインタビューに答えていた。今年2000本安打を記録したプロ野球の第一人者だ。その中で「僕は野球についてプライドは無く、未完の野球選手として引退すると思う」と語り「若い選手の話を聞きながら、アッそうだと思いつく事がある」とか語っていた。また、ある農業系の大学では全員全寮制で、先輩は新入生に対し、初めにプライドを捨てる事から指導するそうである。プライドを捨てる事により連帯感が生れ、各人がそれぞれに対等につき合う中で知識が蓄積され前進し成長すると云う。

私も農業歴60有余年になるが、今でも初めて経験する事がある。同業の者からアドバイスを受けたり、ヒントを与えられる事がある。私の年齢の3分の1に満たない若い人の話でも私のまったく経験した事の無い事を聞く事もあり、良い勉強になる。子供の頃、母は私に「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」と言い聞かせてくれた事を思い出す。プライドは持ちながらも、プライドを捨てることも大切だと思っている。


現在、私の牧場では乳牛の餌に自家生産の米を飼料として1日1頭に約2kgを与えている。子供の頃(昭和10年~20年)食料難を経験し、母や祖母から三体の神が宿る米への感謝の気持ちと大切さと「もったいない」を教えられた。乳牛に米を給与しながら「もったいない」と何時も思っている。

十数年前を思い出した。畜産会議の後、食事会が開かれ同業のT君と同席した。雑談をしながら御飯を食べていた時、T君が御飯を床に落としてしまった。雑談を続けながらT君は自然体のまま箸で拾い上げて食べていた。私も同じ事をしていたと思う。私とT君は昭和9年生れの同年である。私達は「もったいない」は体に滲み込んでいる。

米作りをして乳牛に米を給与しながら最近の気候変動や自然災害、国際社会でも何が起こるか分からない。それらはすべて食料危機に直結する。そんな時に飼料米を主食米に転換出来る、そんな事を思いながら乳牛に米を給与している。「もったいない」と思う気持ちも少しやわらぐ。


本年、テレビで自然災害による大水害が報道されている。私の地区も昭和23年、福井大震災で家屋全壊、1ヶ月後には九頭竜川左岸決壊で大水害、数年後に日野川右岸決壊による大水害を経験している。私の地区は、九頭竜・日野・足羽の福井の三大河川に囲まれた地で、昔から水害に悩まされて来た。明治の頃、衆議院議員の杉田定一先生によって堤防が構築された。その後、私の地区から市・県の地方議員として杉田定一先生を鑑として治水に心血を注いだ東郷茂三先生がいる。去る7月11日の地方紙「緑風」のコラムで筆者は「治水に心血を注いだ東郷先生は何と言うだろう」と記している。おそらく東郷先生は、上流にダムを造る。川幅を拡げ堤防を補強する。川底を掘り下げる。を言うだろう。私たちの地区は東郷先生に協力して川幅を拡げ堤防の補強で田畑を提供した。また川底を掘り下げるため底土を土地に客土として受入れた。また排水ポンプ場も建設された。その後は水害が無くなった。東郷先生は色々な反対意見を聞きながら政治家として大局的見地から解決をしていった。

現在、九頭竜川上流に九頭竜ダム、日野川の上流に桝谷ダムが完成、足羽川上流に足羽ダムが建設中である。足羽川ダム建設では大反対があったが、平成16年の大雨で足羽川左岸が決壊し福井市の南側が大水害を受けた。その後、反対論がピタリと止まってしまった。

先日、テレビで大阪知事を務めたこともある橋本徹氏が自然災害を避けるには「住まない・住まわせない」と発言していた。政治家としては失格である。日本列島は地震・雨・風・雪と云う自然災害を避けられない。自然と共生しながら、政治の力で災害を軽減は出来る。政治は特に大局的な視野が必要である。


今春、毎朝マスクを買い求めるため量販店前に行列が続いた。30年ほど前に書店で「○○之日本」と云う月刊誌を立読みしていたら「今の農業者は高度経済成長に乗り遅れた落ちこぼれである」と筆者は結論していた。ガックリとして書店を去った覚えがある。そして程なく平成5年に日本全体が冷夏に巻き込まれ、米が大凶作で東北では穂が出ても実らなかった。米泥棒も多発した。そのときに米を買い求める人の行列がテレビで報道されていた。そのときに「○○之日本」の農業への筆者はどう思っているかなぁと思った事があった。
今春、孫の一人(長女の長男)が乳牛の管理作業や水稲作業に汗を流してくれた。連日のコロナのテレビ報道を見ながら「土壇場で生き残れるのは農業かも知れない」と呟いていた。もう一人の孫(次女の長男)は両親の飲食業の自営業の跡継ぎとして働いているが、コロナの影響で暇が出来たのでトラクターに乗ってみたいと言ってきた。早速トラクターの操作を教え、6haの田の荒起し、代かきをしてくれた。トラクターは冷暖房つきだ。作業の仕上がりは見事である。そんな孫が母親に「農業をナメたらダメ」と言っていたとの言葉を聞いた。2人の孫の「呟き」を聞いて嬉しかった。私は昭和20年前後の食糧難時代を経験し、その後の経済成長時も経験した。そして土壇場で踏みこたえられるのは農業かも知れないと思っている。

先日、畜産関係同志での研修旅行が開催された。昨今の世情からやや気重く、いやいや参加した。その中で富山県高岡市の瑞龍寺を訪れた。中年の坊さんに案内してもらった。総門を入ると真正面に二重屋根の大きな山門が目に入る。山門の大屋根は下の屋根と同じ幅に設計されている。雪が大屋根から落ちる時に下の屋根に落ちないようになっていると云う。正面の大きな二重屋根の山門、右に浴室、左に東司(便所)、それを回廊で連いでいる。「山」と云う字に建てられているそうだ。また山門に一定の距離に近づくと、奥の佛殿が山門の中に息しに置いた様に見事に収まる。この瑞龍寺の建築の棟梁は「福井県人」だとの説明である。また法堂の左奥に加賀藩士の前田利長公を含めて4公1院の石廟がある。その石は笏谷石で造られている。福井の棟梁ならではである。

坊さんの説明の中で2つの印象に残った説明があった。1つは「便所」は汚れるから掃除するのでなく、「一番大事な所」だから一番きれいにするのだと言われた。坊さんは先輩から言われた時に「あっそうか」ぐらいであったが、自分が説明する立場になって、やっとその意味がわかって来たと話す。また加賀藩の前田家は戦国時代「戦わずして領土を守る」を実践して来たと説明があり、改めてその意味を噛みしめた。

研修旅行に参加して本当に良かったと思う。四・五十年前、大先輩から「どんなにくだらない会合と思っても、良く振り返り見ると必ず何か得るものがある」と教えられた言葉がよみがえって来た。


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