ある会合で、毎年長者番付で五十位内にランクされるIさんと同席した。Iさんは私より二才年長である。雑談の中でIさんは私に「いろいろと農業情報を聞くと、農業は大変で米作りも見通しは暗い様だが、名津井さんはそれでも、これから米作りなどやってゆくのかね」と問いかけられた。
農業で生活をしている私は、少々の意地と我とヤセ我慢と、それにホンネを含めて「僕は田んぼ作りが好きなんです」と一言だけ答えた。Iさんは急に口をつぐんだまま一言も云わなかった。私もそれ以上の事は云わなかった。少々Iさんの機嫌を損ねたかなと思ったりもした。
その後、何日か日がたってIさんとまた同席する機会があった時、早速私のそばに来られて、いきなり「この間、名津井さんが『田んぼ作りが好きなんだ』とひとこと云われた言葉に僕は非常に感動しました。あの感動は衝撃だった」と云われた。私はIさんのその言葉に「いやあ、どうも」と意味のない返事をしていた。
しかし、懸命に農業で生きようとする私の気持ちが、私とまったく違う分野で活躍するIさんの感性をゆさぶり、私の農業への「純粋に一生懸命」の気持ちがIさんの心に伝わった事は、大きく秘かな喜びであった。
Iさんも毎年、長者番付五十位以内をキープすることは、その道で、それ相当の努力と意地と我とヤセ我慢も含め、純粋に一生懸命の積み重ねの成果だと思っている。
今、私は最も好きな言葉が二つある。一つは親友のH君から教えられた。田園詩人、陶淵明の一句「力耕不吾欺」 農作業を力一杯やっていれば欺かれる事は無いという言葉だ。もう一つの言葉は、最近やっと辿りついた言葉だ。それは「純粋に一生懸命」という言葉である。この二つの言葉は、私の左右(座右)の銘である。