友人のY君は、教育とは学校で教え、家で育てる事だと言う。また家庭とは、「家」「庭」と書く、家には庭があってこそ家庭であると言う。同時に「漢字」の意味の素晴らしさを教えられた。
幸い私の家には前後に庭がある。木々も数拾本あり、梅、柿、栗もある。前面には田畑が広がり、そんな環境で生れ育った事を祖先に感謝している。
私の弟は東京で就職(帝京大学、教授)した時、自宅を埼玉県に求めた。回りは田畑が広がり、近くを川が流れ堤があり、森や林もある。弟は、子供を育てるには、自分が生れ育った福井の家や風景、環境を思い描き、土地を求めたと言う。子供達と川堤の野草の中に坐っている写真を送ってくれた。
拾数年前、大晦日の紅白歌合戦で、森口博子の唄った「エターナルウインド」の作詞、作曲は、私の隣区出身の西脇唯である。ある新聞記事に作詞、作曲の心情として「風や波の音、木の葉のすれ合う音など、子供のころ山野をかけ廻った体験を持つ私は有利だと思う」と記している。
私は時折、福井市内の足羽山に行く。山頂から眼下に広がる市内を眺めると共に、遠方へ目を移すと山、川、森、田畑が広がっている。市内は「家」で、山野は「庭」である。それぞれに子供たちを連れて郊外の大きな庭に足を運び感性を養いたいものだ。
私は地元の小学校の卒業式に参列する機会があった。学校長の挨拶で、卒業生、在校生に対し「自然にしたしみ、感動する心を養って下さい」と言う言葉を贈られた。その言葉に私は感動した。
山、野、川は大きな庭であり、感性を養う教育の現場である。