褒め言葉

去る1月7日、福井県農家の中で私の最も尊敬する農友の中川清氏が逝去された。遺影を眺めながら色々な遺訓を思い浮かべた。その中の一つ、ある時農友のA君が農家の後継ぎの息子に不安を持ちながら中川氏に相談し、息子の良い点も中川氏に語っていた。中川氏は「私が息子さんに話します。君は息子さんに何も言わないほうが良い」と言われた。その後A君が中川氏に嬉しそうに心からのお礼を言っていた。中川氏はA君の息子さんに、さりげなく「君のおやじは○○○と喜んでいたよ」と良い点だけを言ったそうである。

中川氏は、褒め言葉は他人から言ってもらうのが一番だと言っていた。私も思い当たるものがある。私は家庭の事情で14歳から19歳まで叔父の家で生活した。叔父は独学で教員免許を取得し地元小学校の教員、村長、農協長、県議を務めた人である。当時、叔父の家では田畑のほか乳牛、馬、豚、ニワトリが飼育されていた。私は叔父の手足となって働き、農作業を学んだ。特に叔父は稲作に乳牛を加えた福井県で最初の水田酪農の先駆者であった。米の増産と共に①乳牛の堆肥を利用した地力の増進②牛乳販売による農家収入の確保③牛乳飲用による農家の食生活の改善を目指していた。その他蔬菜も取り入れた。そんな農業を叔父は「立体農業」と唱えていた。

私は20歳の時、農家として独立した。その頃、毎年7月ごろ水稲作見会が開かれた。叔父は農業指導者として各地をまわっていた。ある時、全くの他人から叔父が「ヨロ(※1)の稲作りが一番良い」と言っていたと聞かされ、嬉しくなり叔父の期待に答えたいと米作りに熱中した。また私は水稲に酪農を加え、豚、ニワトリを飼い叔父の理想とする「立体農業」に取り組んでいた、そんな時、ある婦人から「叔父さんが、ヨロがウラ(※2)の息子やったらなぁ」と言っていたと聞かされ本当に嬉しかったし叔父の期待に応えたいと思った。

今、農家として独立して60余年になる。特に酪農では現役として福井県で経験と年齢は最高位である。また先日、石川県の友人から現役の酪農家では北陸三県で一位だと聞かされた。叔父の唱えた理想の「立体農業」には未だ未だだ。未完の完となるかも知れないが、人生の終着駅まで坦坦と歩み、少しでも亡き叔父の期待に応えたい。

※1 私の名前は萬と書いてヨロズと読み、叔父はヨロと呼んでいた
※2 ウラは福井弁で「私」のこと

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