ファームサルートからのお知らせ

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福井市から50kmの大野市に田を求め、稲作り45年になる。農作業の帰りに時間があると大野市、勝山市の通った事のない道を通る事がある。先日、大野地区の農地が広がる「木本原」の道路脇に石碑が建っているので下車して石碑の前に立った。昭和20年代の木本原開拓の完成記念碑であった。石碑の裏に農地開拓に功績のあった人の名前があった。何気なく見ていたら、私の義理の伯父「山形寿」の名が刻んであるではないか。改めて伯父の福井県の農業界で活躍した姿を思い出し、そっと名前を手でなぞった。

私は3才で父、12才で祖母と母を亡くした。その時、私の母の姉の夫「山形寿」が私達兄弟3人を引き取ってくれた。私は13才から19才まで約7年間、伯父に養育してもらった。伯父は独学で教員免許を取得、地元小学校の教員となり、その後村長・農協長・県会議員を務めた。また農業指導力を認められ武生の味真野青年学校長になり、青年教育と農業指導に励んだ。また福井県酪農の先駆者で水田酪農を提唱し、福井酪農農業共同組合の初代組合長として活躍した。

私は今7代目の組合長だ。伯父は稲作に酪農を組んだ経営を指導した。私が伯父の家で養育してもらっていた時だ。私は稲作、酪農、野菜作りに伯父の手足となって働いた。現在私は伯父の意志を実行して稲作+酪農+直売所を経営している。伯父はそれを「立体農業」と称した。伯父に養育された事を幸せに思っている。もし伯父に養育されなかったら、気ままなクズの様な人間になっていたかも……と思う事がある。まだ県内に伯父の名を刻んだ石碑などあるはずだ。伯父に出合いたい。