19才の時、尊敬するN先輩より青年団に入団の誘いがあり、地元青年団に入団し青年団活動に夢中になっていた。昭和34年にN先輩が市連合青年団の推薦を受け、市議会議員選挙に立候補することになり、私はN先輩の地元青年団員として応援に全力をあげた。当時私は23才であった。
いろいろな応援の参考資料を取り寄せて原稿を作り、何回も練習し丸暗記して臨んだ。第一会場は民家の8畳で部屋は超満員である。弁士として大勢の人の前で話すことは初めてで非常に緊張した。自分の思いは練習で得た要旨を話す事が出来た。大きな拍手を受けホッとした。次は第二会場の寺の御堂である。入場すると十名ほどの人が集まっていた。ホっとした気持ちで、3番手として演壇に立ち応援の言葉を始めた。ところが途中で次の言葉がでなくなってしまった。そして前の方で2人が「上がっているな」とつぶやいている様だ。応援要旨は短くなってしまい、やうやう終わると同時にガックリしてしまった大失敗の苦い思い出がある。「百獣の王ライオンはネズミ1匹捕えるにも全力を出す」といわれる。それ以後、人数、会場などに左右されず緊張感を持ち真剣に取り組むべきだと心に刻みこんだ。
私の牧場に酪農体験で年間400人から500人の方が来場する。多い日は80人ほど、少ない日は家族連れで3人ほどの時もある。来場の人数に関係なく、ある緊張感を持って同じ対応で臨んでいる。