今夏、稲刈りのコンバインの点検整備をしていたら、昨秋に清掃したはずなのに泥土がシッカリとついているではないか。清掃するとき「見る角度」が違っていたのだ。また経営計理も会計事務所に提出すると間違っている時もある。原稿を書き終えて、翌日に読んで見るとチョットおかしいなあと思い書き直す事もある。何事も角度を変えて見るべきと思う。また他人の意見や主張なども参考にすべきと思う。ただし他人の意見などに惑わされて自分の信念が左右に揺れてはダメと強く思う。
私は、市議県議を50数年間務めた尊敬する大先輩(故人)の生き方を指針としている。私が20才ぐらいの頃、青年団活動で挨拶をした時、あとで大先輩は私に「上手に喋ろうとしてはダメだ。自分の日頃の思いや考えを話せば良い。その為には勉強が大事だ」と注意を受けた。また10年ほど前に「地区の事で相談したい事があるから自宅に来い」と連絡があり、大先輩の求める地区の事業に私は先頭に立ち協力する事を快諾した。帰りに「ちょっと待て」と言って机に向かい筆を取り、手紙に「断乎動 断断乎不動」と書いて私にくれた。私はそれを表装して座右の銘としている。それは何事も決断したら直ちに行動し、そして他人の言動に断じて断じて惑わされるなとの教えである。
自分の信念を原点として、他人の意見にも耳を傾けながら自分の信念を磨き行動したいと思っている。