ファームサルートからのお知らせ

ファームサルートからのお知らせ

私は集落の愛宕神社の総代を務めている。先月、出雲大社の参拝に旅行した。北陸自動車道から中国自動車道を経て出雲に入った。濃緑の窓外の景色は見事である。奥深い山間の田や、大きな土手なども管理されていて、農業に携わる私として「ホッ」とした思いであった。また私は、福井から50km離れた奥越の大野でも1.2haの水稲を耕作している。時折、作業の帰りに足を運んだ事のない山深い集落を軽トラで散策する事がある。出会う集落の人達は皆軽く頭を下げてくれる。小さい棚田でも見事に管理されていて、自然と調和した素晴らしい景観である。二十数年前に韓国や中国を旅行した事があるが、帰りの機上から日本の国を眺めた時に、緑の豊かさと美しさに感動した覚えがある。それらは、すべて農業者の手によって構成されている。

農業はいま規模拡大が進んでいる。特に稲作は農地の基盤整備も進み、私の友人には100haを耕作している法人組織も誕生している。また50ha、30haの個人経営をする友人、集落を一農場とする集落営農、また兼業であっても1haを懸命に耕作する友人もいる。私自身は6haを耕作している。農業の組織構図は「石垣」の様な型が一番良いと思っている。石垣は、大きな石、変形した石を組み合わせて構築されている。そして大きい石と石の間には、中・小の石を組み入れて石垣は出来ている。石垣は大・中・小の石の組み合わせによって強度が保持され、美しい景観を作り出している。農業も大・中・小の経営規模によって保持されている。農業の構図は石垣の構造を理とすべきと思っている。それに合わせて農業行政・農業技術がかみ合うと「強い農業」「美しい農業」が展開されると思う。

5月1日に「ふくいの食育リーダー」に認定された。昨年(平成26年)県が開催する「食育リーダー講習」5回を受講し、その後「効果測定問題」の解答を提出し認定された。また「平成21年度ふくいの食育・地産地消コーディネーター育成講座」の修了生でもある。色々な講師の教えを受け、改めて食に対する認識を強めた。

私は3才で父、13才で母を亡くし、翌年に福井大震災で家屋全壊し、弟2人と共に孤児となった。叔父が後見人となり、食事は親戚の人に世話になったり、自炊もした。ナスが穫れると毎日ナス、南瓜が穫れると毎日南瓜の食であった。半年ほど過ぎた頃、夕方になると目が「かすみ」、涙が出て学校の宿題にも苦労した。弟も同じ症状で、市の眼科医にも通ったがダメだった。その頃に区内の内科医の先生から、ビタミンA不足からでは無いかとの指摘を受けた。それを聞いた叔父は直ちに食事は叔父の家でと言った。叔父の家での食事は「何でもおいしかった」。6ヶ月ほど経ったら、何時の間にか目は治ってしまった。それは食事からくるものである事が分かった。食の貧困の経験から、食べ物に対して「好き・きらい」はまったく無くなってしまった。そんな食の経験から、私の経営する牧場の牛には色々な飼料を与え、時には化学的な栄養剤も与える。また米作りも、土作りからで、毎年堆肥である牛糞を田に入れる。時には稲に化学的な予防剤、防除剤も利用する。

食と健康は自然と化学の力に感謝し大事にする事でもある。食は「日本食」を基本とし、それに西欧のすぐれた食材である、牛乳、卵、肉を加えるべきである。新潟県のある市では、学校給食の牛乳を廃止したと言う。福井県でも、ある学校は日本食に牛乳はふさわしく無いから給食の牛乳は廃止したと言う。贅沢からくる食に対する貧困である。先の講習会で「食のバランス」の大切さを学んだ。私が得た食と健康の体験を基に、福井県の食育に貢献して行きたい。

平成22年3月21日に県の主催する「ふくいの食育・地産地消コーディネーター育成講座」を修了した。受講の目的として、私の牧場は中央酪農会議より「酪農教育ファーム」の認証を受けていて、小学生・保育園・幼稚園の児童を年間500人前後受け入れて、乳牛の搾乳とエサやり体験をしてもらっている。その時に牛についての話と、必ず牛乳と健康についての話をしている。その時に自信を持って「食と健康」の事を話したいと思っていたからである。

また昨年(26年)に県当局より「ふくい食育リーダー認定講習会」の案内があり現在(27年3月)も受講中である。受講中、日本食の素晴らしさと合わせて牛乳、卵、肉など摂取の大切さを学んだ。健康は「食のバランス」だと自信を持って「食と健康」を伝えたいと思って勉強中である。私の健康の持論は米を中心とした日本食と西欧の食文化の肉・卵・そして私の生産する牛乳だと思っている。それらを「バランス」よく摂取する事と思っている。食べたら次は出すことだ。「汗」を出す事だ。それは「働く」が第一である。働けば快適な食事が出来る。

私は60年間、米作りをしながら乳牛とともに生きて来た。乳牛に自分で授精し分娩の時は助産し、生まれた子牛に初乳を与え哺育し、千数百頭を育てて来た。乳牛を飼育する注意点は食(飼料)である。そして1頭1日に40Kgほど排出する糞尿の状態である。飼料(入)と糞(出)を観察しながら飼養している。牛は人間と同じ様な病気もする。牛からは色々な事を学ばせてもらっている。今の私の健康の方程式は、『食+働+汗=健康』である。

先日、福井市北部地域のJA営農職員と稲作農家20名ほどで、福井県南端の高浜町で大型のミディトマトの水耕栽培を経営する農場を見学した。事業運営を展開する事業体と経営体のあり方に非常に勉強をさせてもらった。事業主体は株式会社で、経営体は合同会社(農家)が携わっている。県・市の補助を受け事業体の負担金は12%である。事業は投資額が少なく、経営体にリース式で貸与する形である。経営体も投資額少なく経営しやすい販売は農協が受け持っている。これが三味一体と云う。

最近、新聞紙上で報道されている事で大企業が農業経営に乗り出し、大農地の伴金、地域労力を活用しての経営が報じられている。また国は、農地中間管理機構を設立して、貸手農家と借手農家を仲介する機構も発足し始めている。また政府は農協の組織のあり方の再検討をうながしている。農地中間管理は農協がやらなければならない事業である。そして農地、農場管理経営の事業体となり、農家は経営体(大・中・小)と位置づけてまとめるべきである。さすれば農協と農家が手を取り合って大きくは日本の国土を保全出来ると信ずる。

特に農協は稲作・園芸・畜産など栽培技術・販売能力が有り、最も知りつくしている。それが農協である。これは誰もマネの出来ない農協の戦力と実力と知力である。今の農協の姿勢では、ダメ・ダメダメである。

エピソード1)
10月9日 さわやかな澄みわたった秋晴れの日、今期最後の稲刈りをした。品種は、私の好きな「日本晴」である。本当にすがすがしい日本晴の一日、コンバインで刈取り作業をしながら、十数年前の事を思い出していた。それは、JAの理事をしていた頃、稲刈り作業など全部終った10月下旬理事会に出席した。その日は雲一つ無い、さわやかな秋晴れの日、正に日本晴の日だった。開会前のひと時、窓ぎわに立って、秋晴れの外の風景を眺めていた。そんな時、私と同年のO君が、そばに来て、同じく秋晴れの外を眺めながら「オイ、田んぼ狩り(稲刈)したくなったナァ」とつぶやいた。私も同じ事を思っていた。共に顔を見合わせて「ニヤッ」と笑っていた。O君は稲作専業農家である。私は稲作と酪農の兼業農家である。お互い農業以外でも、相通じるものがある。

エピソード2)
毎年、高額納税者として県内で上位を維持している経済界のIさんと、ある会合で出会い雑談の中でIさんは私に「農業について色々な情報を聞いていると、仲々大変だが君は農業をやって行きますかね?」と尋ねられた。私は少し言葉につまったが「僕は田んぼが好きなんです」と答えた。Iさんは黙っていた。私はIさんの気分を損ねたかなと少し気になった。その後、またIさんと会合で相席し私のそばに来て「田んぼが好きなんです」と言う言葉に感動したようである。私は「いや、どうも」と意味のない返事をしていた。今もIさんの感動したと言う言葉が忘れられない。

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