ファームサルートからのお知らせ

ファームサルートからのお知らせ

先日、テレビで世界各国の外人が、日本の歌を唄い、歌唱力を競っていた。話す時はタドタドしい日本語だが、リズムに乗っての日本語の歌詞と歌唱力は見事である。歌は世界の共通語だと思った。それはリズムである。

また、秋の収穫が終った先日、先祖の恩に報いる年一度の報恩講を執り行った。菩提寺の住職様と役僧様の息が合ったリズムに乗っての朗々とした読経は気持が良い。私も子供の頃に習ったお経を称えた。
お経のリズムに乗ると、次々と経文が称えられる。「リズム」の大切さを痛感した。

私の農業経営にもリズムがある。大きくは一年の四季に合せて、稲作、酪農、直売所の3つを継ぎ、かみ合せる事だ。また小さくは、毎朝6時に起床しタクトは振られる。夜にいくら歌い飲みつぶれてもタクトは振られる。

しかし時には思わぬリズムが狂う時もある。そんな時は慌てずに、悠々と急ぎながらリズムを取り戻す事だ。
人生はすべてリズムだと思っている。

私は昭和29年に19才で農家として独立した。そして今日まで失敗、成功、挫折、奮起の繰り返しを重ねて来た。その集約として、20年ほど前に「農業経営信条」に辿りついた。今日も、まったく変わっていない。

  1. チャンスを逃がすな。
    人の一生には色々なチャンスが訪れ、去っていく。そのチャンスを得るには日ごろの意欲と実力がなければ得られない。意欲と実力は日々の努力と勉強の積み重ねである。
  2. 立地条件を生かす。
    人には、それぞれ環境条件・生活条件、経済条件がある。山間・中山間・平野・都市近郊に色々な長所・短所がある。それを組み合せ生かす事である。
  3. 最後まで諦めない。
    誰もが夢があり、理想がある。それに向かって結果はどうであれ、最後まで諦めない事である。時には、つまづき、転び、失敗しても必ず別の道が開けてくると思っている。

また、私が教えられた言葉に「一つの課題が解決すると、二つの課題が生ずる」と云う言葉がある。課題を解決する努力が、進歩・発展であると信じている。

私は5年ごとに開催される、全日本ホルスタイン共進会(人間に例えると全日本美人コンテスト)に県代表として、愛牛を7回出品した。

想い出として1985年岩手県滝沢村で開催された時の事が印象に残る。その時の開会式に常陸宮ご夫妻の、ご台臨があり、その後、各県の乳牛のご観閲があるので、各県1頭ずつ出品せよとの案内があり、私は18ヶ月の未経産牛を出品した。

ところが、各県すべて見事な乳房を付けた経産牛である。私は少し恥ずかしい想いで小さくなり、所定の位置についた。全県代表40数頭が一線に並んだ状況は見事である。

その前3メートル程の所に敷かれた赤絨毯を、常陸宮ご夫妻が大会長の各県代表牛の説明を受けられながら歩んでこられた。私の愛牛の説明を受けられた後、常陸宮華子妃殿下が私の愛牛の2、3歩前まで歩んでこられた。少し緊張した。そして華子妃殿下より、お声を掛けられた。

「何才になりますか」「ハイ、1才と6ヶ月になります」 華子妃殿下は軽く頷かれた。その時、私は何故か「2ヶ月前に種付けをしました」と言ってしまった。

華子妃殿下の表情が一瞬とまどった様だったが、すかさず華子妃殿下は「何時、産みますか」と返ってきた。私は少し慌てたが、種付けの8月から3を引いて「来年の5月に分娩予定です」と答えた。その間、無我夢中であった。華子妃殿下の品格に圧倒された。話しかけられたのは私だけであった。

終了後、愛牛を引いて帰る途中、石川県のM君が「種付けの言葉は不敬に当たるぞ」と注意された。私は無言だった。よく考えると不敬に当たるかもしれないと不安になった。ところが、私に付きそって来てくれた県畜産課のT君が、すかさず「種付けは業界用語だからかまわ無いし、華子妃殿下は理解され、何時、産みますかの一言があった」と言われ、少しホッとした。

石川県のM君は、今も時折、私の牧場をたづねて来てくれる。私の牛飼い人生の中の「ローマの休日」の様な想い出である。

私は稲作と酪農と農産物直売の三本柱の経営をしている。

年中、冬は6時、夏は5時に起床し、30頭ほどの乳牛の搾乳と管理作業をする。約2時間強、万歩計を見ると朝だけで約3000歩、少し意識的に乳牛の観察などして巡ると4000歩ほどになる。その後、稲作作業や直売所に出向いたりすると、夕方には一万歩になっている。時には2万歩の時もある。

また乳牛の搾乳作業では、乳房をタオルで拭いたり、ミルカーの装着、取りはずし、消毒などで1頭当り5回ほど屈伸する。朝の搾乳作業で百数十回の屈伸作業をする。冬の寒い朝でも、乳牛の体温は38.5度ほどもあり、少し汗ばみ、夏だと流れる汗である。

先日、テレビを見ていたら、あるミカン農家は、畑に地下足袋の跡が多ければ多いほど「甘くておいしい」ミカンが収穫できると言っていた。私の先輩で米作りの名人は、足繁げく田を見まわり、生育のおくれている稲株には少しの肥料を施したり、管理と手間ヒマをかけると言う。また、「草を見ずして草を取る」と言う言葉も教えられた。

米作りも、牛造りも、良い乳しぼりも「労をいとわず」歩き続け、良く観察する事だ。そして「良く汗を流し、良く喰べ、良く牛乳を飲む事」だ。

今月(4月)初め、1泊2日の人間ドックで精密検査を受けた。異常ナシで、骨密度は20才台の平均の上位に位置する。私は今、78才。私にとっては稲作と酪農と農産物直売のサイクルは合っているようだ。

私の牧場で飼っている乳用牛は、ホルスタイン種で、常時30数頭を飼っています。すべての乳牛に名号があります。

基本的な名号のつけ方は、3つに区分されます。最初は冠名と云って、人間では名字です。(人間は父系の名字ですが、乳牛は母系です) 次は2番目に父系からの1句をつけます。3番目に母系からの1句をつけます。乳牛は血統(父親の先祖・母親の先祖)を大切にします。乳牛の改良は種牡牛によって改良されます。すなわち牝牛は牡牛を選んで改良されます。

次にホルスタイン専用の月刊誌の2月号に掲載された、私の牧場の愛牛の冠名についての記事です。

冠名は、その牧場の象徴であり、風土、事象、人の夢や願いが込められています。

1. 冠名の由来やエピソード 2. 冠名第1号牛 3. 代表牛

『マンデール』 MANDALE FARM
名津井 萬牧場 (福井県福井市地蔵町)

1. カナダにあった「ローマンデール牧場」は私の憧れの牧場です。この冠名から「ロー」を外して「マンデール」としました。私の名前は萬と書いてヨロズと読みますがマンでも通じます。元々は無登録牛の“救済”のために冠名を付けたのです。

2. 1983年頃かと思いますが、無登録牛1頭を廃業された農家から購入しました。その牛の先代は米国からの輸入牛でした。その牛にマンデール・エッチ・ブラックと付け、冠名第1号牛としました。エッチは廃業された農家の頭文字、ブラックは黒勝ちの牛だったからです。この牛の2代後、2代本登録牛MD・スターライト・エッチ・エー (89.12.30生、父セヤファーム・スターライト・ロックマン)が82点を頂きました。私の中では特別思い入れがあり、好きな牛でした。

3. 無登録牛救済の「マンデール系」、千葉県から導入した「ジョハナ」、北海道から導入した「ヒンペル」、当場では捨てがたい系統です。全共には70年の豊橋から05年の栃木まで7回出場しています。ホワイト2頭、ジョハナ2頭、ヒンペル2頭、マンデール1頭です。05年の栃木全共にはヒンペル・レイザー・マンフレッド(父レイザー)を出品、2等賞でした。この牛の母、ヒンペル・アレックス・ベルは現在8頭を分娩しており、3産で挑んだ06年の福井県共では4才以上で優等賞1席となりました。さらに曽祖母のヒンペル・マット・エースは90年の熊本全共に出場しています。

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