ファームサルートからのお知らせ

ファームサルートからのお知らせ

私の牧場では乳牛の飼料の中で、ビール粕を給与している。ビール粕取扱会社から今年も「日めくり暦」を頂いた。一日一枚ごとに格言や人生訓が記されていて、いつも読みながら自分の行動や言動など反省をしている。また非常に勉強になる。暦は牛舎の中に吊してある。

8月1日(金)には「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず」〈鎌倉初期の歌人、鴨長明〉と記してある。この言葉を私の農業人生に重ねあわせてみると、農業と云う大河の流れの中で、稲作・酪農・農産物加工直売所を経営し、前年より今年、今年より来年と、前年より同じ経営でないように心がけて来た。ただ、歌手水前寺清子の「三百六十五歩のマーチ」にあるように、三歩進んで二歩下がる時もあったが、二歩進んで三歩下がる苦しい時もあった。
 
私が農業を始めた二十歳の頃(昭和30年)優れた農業経営を展開する先輩より、農業経営の心がけは、前年より今年、今年より来年、ニワトリ一羽でも良いから経営に進歩的な変化を心がける事が一番大切であると教えられた。日めくり暦の人生訓を読みながら私の一日は始まる。

人生訓三つほど、8月9日(土)「笑われて、笑われて、強くなる」 太宰治〈昭和期の小説家〉、8月14日(木)「大地は人間が生活していくための宝庫である」 ジェファーソン〈アメリカの政治家〉、8月19日(火) 「仕事が楽しみならば人生は極楽だ。苦しみならばそれは地獄だ」ゴーリキー〈ロシアの小説家、劇作家〉

私の農業経営は稲作と酪農と直売所である。酪農は常時30頭ほど飼育している。
ただ、最近は飼料が高騰して苦しい経営である。その対策として水稲の転作割当分を、すべて飼料米の生産をしている。粉砕機で引き割りして乳牛に与えると嗜好性も良く、飼料費の低減になっている。

飼料米の生産について、私は15年前の平成11年に、県内農業者グループで組織する「あぜみちの会」の機関紙「みち」秋号(23号)に、飼料米の生産栽培を進めるべきと投稿した。要旨は、日本の穀物自給率の低下は我々畜産農家の飼料用の、大麦、大豆、トウモロコシの輸入が原因の一つである。

解決策の一つとして、転作田で飼料米を生産すべきである。飼料米の生産は稲作そのものであり、最も日本の風土に適している。最後に、日本の国土を救い、穀物自給率を上げるには飼料米生産しかないと結んでいる。

そのころ、県の農林部長と語る会や、JA福井市の理事会でも提言したが、あまり理解されなかった。しかし近年、飼料米生産が国政でも取り上げられた事は、本当にありがたいと思っている。十数年も経過してしまった。

私の尊敬する大先輩で、そさい園芸農家の武生の(故)川崎秀男氏は、20数年前に私に「農業の将来への展望など、先を読んだ提言をしても、実現は10年以上は先になってしまう」と嘆いていたのを思い出している。
彼の遺した農業への提言などを読んでみると、実に10年ほども先を見通しているのには、感嘆する。

今後は飼料米栽培の増収技術と品種改良である。将来かならず来るであろう世界の食料危機に、日本の飼料米(稲作)の技術、研究は必ず生きるであろう。

日本が世界に貢献できるのは「米」である。豊かな水と豊かな気候、そして高い栽培技術を持つ指導研究者と農家である。

先日、新聞記事で、ある小学校で給食に出していた「牛乳」の飲用を廃止したとの記事を読んだ。理由は、給食に「日本食」を出していて、牛乳は日本食に合わないからとの事である。

たしかに、日本食は世界遺産ともなり、世界に誇る健康食であると思う。しかし西欧の食にも素晴らしい食材がある。牛乳、肉、卵など、西欧食にも世界に誇る健康食がある。私は思う、これからの日本人の食は、日本食を基礎として、それに牛乳、肉、卵など西欧の誇る食を加える事と思っている。

私は家庭の事情で14才(昭和23年)から20才まで、叔父の家で養育された。当時、叔父の家では田畑の他、乳牛、馬、和牛、豚、ニワトリが飼育されていて、私はそれらの管理作業に叔父の手足となって働いた。叔父は独学で教員免許を取り、地元小学校教員、村長、農協長、県会議員を務めた人で、農業に乳牛を加えた、福井県酪農の先駆者であった。

昭和23年、地区内に北海道より乳牛の子牛を導入した。
乳牛導入の基本的な考え方は、

  1. 乳牛を導入し、牛乳販売による収入増
  2. 乳牛の糞尿を田畑に施し地力の増進
  3. 牛乳飲用による食生活の改善

叔父は大局を見誤らない人であった。私は昭和9年生まれ、今年80才である。子供の頃から青年期にかけ、日本食の貧困さと食糧難を経験し、食料増産に懸命に働いた。現在、日本人の体格向上、長寿など飛躍的に発動したのは、医学の発展と共に、日本食に西欧の、牛乳、肉、卵の食材を加えたものの「おかげ」である。私は日本食を基礎として、牛乳の飲用は50数年、欠かした事が無い。おかげ様で私の骨密度は20才台の平均を上回っている。

「牛乳のおかげ」である。

昨年、料理研究家、小山浩子先生の「乳和食のすゝめ」の講習会に参加した。今、乳和食が「深く静かに進行」している。これからの日本の食は、日本食を基礎に西欧の食の長所を取り入れていくべきである。

友人のY君は、教育とは学校で教え、家で育てる事だと言う。また家庭とは、「家」「庭」と書く、家には庭があってこそ家庭であると言う。同時に「漢字」の意味の素晴らしさを教えられた。

幸い私の家には前後に庭がある。木々も数拾本あり、梅、柿、栗もある。前面には田畑が広がり、そんな環境で生れ育った事を祖先に感謝している。

私の弟は東京で就職(帝京大学、教授)した時、自宅を埼玉県に求めた。回りは田畑が広がり、近くを川が流れ堤があり、森や林もある。弟は、子供を育てるには、自分が生れ育った福井の家や風景、環境を思い描き、土地を求めたと言う。子供達と川堤の野草の中に坐っている写真を送ってくれた。

拾数年前、大晦日の紅白歌合戦で、森口博子の唄った「エターナルウインド」の作詞、作曲は、私の隣区出身の西脇唯である。ある新聞記事に作詞、作曲の心情として「風や波の音、木の葉のすれ合う音など、子供のころ山野をかけ廻った体験を持つ私は有利だと思う」と記している。

私は時折、福井市内の足羽山に行く。山頂から眼下に広がる市内を眺めると共に、遠方へ目を移すと山、川、森、田畑が広がっている。市内は「家」で、山野は「庭」である。それぞれに子供たちを連れて郊外の大きな庭に足を運び感性を養いたいものだ。

私は地元の小学校の卒業式に参列する機会があった。学校長の挨拶で、卒業生、在校生に対し「自然にしたしみ、感動する心を養って下さい」と言う言葉を贈られた。その言葉に私は感動した。

山、野、川は大きな庭であり、感性を養う教育の現場である。

私の牧場では年間20数頭の子牛が生まれる。

牡、牝はほぼ半々である。うち、数頭の牝を後継牛として、県営奥越高原牧場で育成され、2年後に初産を孕んで帰ってくる。唯、私の牧場での乳牛の飲水は、ウォーターカップと称する自動給水器で、カップの「ヘラ」を乳牛が口で押すことによって飲水が出来る様になっている。しかし高原牧場帰りの乳牛は牛舎内の飲水の方法が分からないので、私の牧場で飼養している先輩乳牛の隣りに繋いで置くと、先輩牛のウォーターカップの「ヘラ」を口で押して飲む方法を真似て飲水を覚えてくれる。すなわち「先輩牛を真似て覚える。教えられる」

乳牛から先輩、後輩の大切さを教えられ、先輩を真似る事で「生きる」第一歩を乳牛から学んだ。

私は中学卒業後、農業に従事した。その頃、在所の大先輩から「若衆の会」に入れと云われ入会した。そこで小先輩、中先輩、大先輩から「良い事、悪い事」を教えられ、真似をして歩んで来た。それは私の財産であり、心から感謝している。

先日、テレビで「子供は親を真似て育ち、学生は師を真似て成長する。そして社会に出れば先輩を真似て大きく進歩する」と結んでいた。

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