今春、孫の一人(長女の長男)が乳牛の管理作業や水稲作業に汗を流してくれた。連日のコロナのテレビ報道を見ながら「土壇場で生き残れるのは農業かも知れない」と呟いていた。もう一人の孫(次女の長男)は両親の飲食業の自営業の跡継ぎとして働いているが、コロナの影響で暇が出来たのでトラクターに乗ってみたいと言ってきた。早速トラクターの操作を教え、6haの田の荒起し、代かきをしてくれた。トラクターは冷暖房つきだ。作業の仕上がりは見事である。そんな孫が母親に「農業をナメたらダメ」と言っていたとの言葉を聞いた。2人の孫の「呟き」を聞いて嬉しかった。私は昭和20年前後の食糧難時代を経験し、その後の経済成長時も経験した。そして土壇場で踏みこたえられるのは農業かも知れないと思っている。
今春、孫の一人(長女の長男)が乳牛の管理作業や水稲作業に汗を流してくれた。連日のコロナのテレビ報道を見ながら「土壇場で生き残れるのは農業かも知れない」と呟いていた。もう一人の孫(次女の長男)は両親の飲食業の自営業の跡継ぎとして働いているが、コロナの影響で暇が出来たのでトラクターに乗ってみたいと言ってきた。早速トラクターの操作を教え、6haの田の荒起し、代かきをしてくれた。トラクターは冷暖房つきだ。作業の仕上がりは見事である。そんな孫が母親に「農業をナメたらダメ」と言っていたとの言葉を聞いた。2人の孫の「呟き」を聞いて嬉しかった。私は昭和20年前後の食糧難時代を経験し、その後の経済成長時も経験した。そして土壇場で踏みこたえられるのは農業かも知れないと思っている。
坊さんの説明の中で2つの印象に残った説明があった。1つは「便所」は汚れるから掃除するのでなく、「一番大事な所」だから一番きれいにするのだと言われた。坊さんは先輩から言われた時に「あっそうか」ぐらいであったが、自分が説明する立場になって、やっとその意味がわかって来たと話す。また加賀藩の前田家は戦国時代「戦わずして領土を守る」を実践して来たと説明があり、改めてその意味を噛みしめた。
研修旅行に参加して本当に良かったと思う。四・五十年前、大先輩から「どんなにくだらない会合と思っても、良く振り返り見ると必ず何か得るものがある」と教えられた言葉がよみがえって来た。
また杉谷町の整備された農地のど真中に1坪ほどの土地に「へび神社」がある。祠の中に石に掘られた御神体は風雨で定かでなく、その前に2代目と思われる石像がある。そして餅とみかんと赤南天がお供えしてあった。昔から祠の位置を動かさず、農作業に大変邪魔とお羽毛が、農地は秋耕され、祠も見事に管理されている。農民として農家として、地区の歴史を重んじる見事な心意義に本当に心洗われた。
最近、日本農業界で時折「家族農業」と云う言葉や活字を見聞する。城の石垣を眺めれば分かるが、大きな石と石の間には中小の石が組み込まれ石垣が形成されている。大きな石が大型農業ならば、中小の石は、中、小型の家族農業を表している。盤石の日本農業とは、大型農業の推進とともに中、小的な家族農業にも「光」をあてるべきと思う。「家族力」とは無限の力である。
50年ほど前に美山地区の農家の乳牛の受精に行った時、尾房の無い牛に出会った。畜主が「どうして尾を押さえるかなぁ」と言われたので「猪の首」を取る方法はどうだろうと言ったら、大先輩の畜主は「そうだ!やって見る」と言って猪の首を取る方法で尻尾を固定してくれた。彼は「猪の首」を取る方法を私よりも熟知していた。
今は全くロープで猪の首を取るという方法は知らない人が多いと思うが、何事にも原点が大切と思う。ロープ、綱一本にも色々な使い方、からげ方がある。原点から新しい方法や方便が考えられる。何事にも原点、源流、原則を知ることが大切と思っている。